田舎ハーフ、東京サバイバル
今までの僕の生活は自分の理想をある程度現実化した暮らしだった。
壁の無い、屋根付きのテント用プラットフォームでの生活。基本的に寝て起きるためのスペース。物も濡れずに収納できるから便利。
星や月の光の下で寝て、
車の音も、蛍光灯の光も、宣伝も無い平和なパラダイス。
太陽の登場とともに動物達と一緒に起きて、蛍光灯や車の騒音に汚染されていない暗闇の中、星と月光の下で夢の世界に旅立つ。
土と毎日ふれあい、大衆文化から離れてしまった仲間達と哲学や政治、またその日の感動を分かち合いながら、地球と自分たちの健康を重視して育てられた食材を取り立てでクッキングして、町では味わえない「新鮮」を毎日食す。
企業の誘惑(流行)や害が殆ど届かない、水も空気も心も奇麗な世界。自然と人、人と人、全ての繋がりが露な学びの日々。
鳥のさえずりと明け方に照らされた自然に囲まれて起きると、感謝と感動の気持ちいっぱいにその日を迎える事ができる。
なんと美しい世界にいるのだろうか。
なんて恵まれた生活をしているのか。
今日も楽しく頑張るぞ~!体を一日中太陽の下で動かしているから、気持ちよく夜はぐっすり眠れる。調子が悪くて何もしたくない日もあるけど、ちょっと働いて美味しい物を食べれば、やる気が戻ってくる。必要な時は休んで、ストレッチ、ヨガ、ラジオ体操、そして午後にはマッサージを仲間達とし合う。
大切なのは自然と心、そして人間関係。
これこそが平和活動なんだと奥深くから感じる。
西海岸やハワイのあらゆるパーマカルチャー関係の農場やコミューニティーでここ一年過ごしてきて、遂に生まれ故郷東京に帰ってきた。人生を振り返ってみると、僕は殆ど田舎や小さな町で育まれてきた。新潟の南魚沼、ハワイ、サンタクルーズ(CA)、中米、そしてオーカス島(WA)。どこも自然や田畑/ガーデンが豊富な所。大阪で生活していた時も、素敵な森がある箕面の山のふもとだった。
[ここからは田舎から始めて出てきた人になった様に読んでみてください。]
それなのに今回は、世界中で有名なサイファイ映画「TOKYO」に到着してしまった。
静寂も暗闇も訪れる事の無いコンクリートジャングル。
成田空港から電車に乗る。最新の心理学技術を搭載した無数のチラシが目を惹き心を揺さぶってくる。しかも最近ではニュースとCMをチカチカ放つテレビまで扉の上に二つも設置されている。気がつくと、無意識のうちに僕の目はすっかり調教されてしまっていて勝手に広告の字を読んでいた。あらゆる芸能人やモデルの写真、テレビの動く画像に僕の目は引っ張りだこだ。刺激オーバーロード。その間に現代社会の消費文化のバリューと視点が僕の深層心理に埋め込まれていくのが分かる。なにが「常識」なのか、なにが「美しいのか」、なにを欲しがるべきなのか、「この季節絶対にしないといけない事トップ10!」、安売り、今ならお得、バーゲン、期間限定、今流行の、セール、大セール、特大セール、死んでも蘇って行くべき宇宙で一度の年末究極スーパー大セール!!!!
・・・結局それで何かを実際に買う事は滅多に無いが、こつこつと意識が消費されていく気がしてしまう。避ける様に下気味に視線を抑えてもそこには動く宣伝と化した人々が疲れた表情で携帯をいじりながら時間をつぶしている光景。彼らにくっ付いてるのはdocomo, AU, Soft Bank, Toshiba, Louis Vuitton, Coach, A Bathing Ape, Nike, Gap, iPod, あ~懐かしい匂い。。。。確かシャネルのNo.5だったけ?人間のブランド化*。企業の実力に僕は感服してしまう。
こんな事を新宿駅で思ってしまうのは僕一人なのだろうか?携帯もここ10年間持たなく生活してきた百姓オタク。。。
暗闇にトレーニングされた目が、視力を吸ってしまう電車のシャープな蛍光灯の光にいらだち始めた。やっと動く缶詰から逃れ出るとホームで同じ光が迎えてくれる。乗客は軽くぶつかり合いながら四方八方にせかせかと動いてゆく、ゲーセンのピンボールの様。そうだった、田舎とは違って、できるだけ早く目的地に向かう忙しそうな歩き方。田舎歩きをしていると迷惑そうにみんなが避けて前に進もうとする。懐かしい気もしないではない。僕も大阪では町人だったから。今は非常識な田舎者。
新しいアパートに向かう途中、数々のサービス産業が誘惑のバトルを繰り広げてくいる。黒いスーツを纏った男二人が薄暗い道の真ん中でテレビゲームの敵の様に立ちはだかっていた。彼らの勧誘領域は大体半径3メートル。どうやら若い女を餌に疲れたサラリーマンを釣ろうとしているようだ。外人顔はどうやら相手にしないのかもしれない。不愉快なことを言われずにス~ッと通れた。外人を装うのは便利なものだ。
新しい家は蛍光灯に溢れた白い箱。
開放感と「自然」を徹底的に抑圧した空間。壁はプライバシーを錯覚させてくれる不思議な偽似非バリアー。隣の人の会話が聞こえる。窓の外の景色は家の汚れた壁。
ここでは窒素その他あらゆる貴重な栄養素豊富な糞尿を水の中に捨てて、エネルギーを無駄にして、浄水しないといけないみたいだ。トイレを使うたんびに戸惑ってしまう。万札で尻を拭くほど非常識に感じてしまう。裕福な者だけができる無駄使い。その昔、人糞が売られていたこの土地で。
辺りはコンクリートとアスファルトの砂漠。
味気ないビルのオアシス。行き場の無いゴミのかすが色とりどりに町を賑やかにしている。
ここにあった自然は跡形も無く何世代ものビルに抹消されてしまった。息が詰まってしまい生命と触れ合いたくても、「自然」に浸ったり農地に行き着くにはお金がかかる。何でもお金がかかってしまう。お金の殆ど要らない世界からお金のないまま都会に来てしまうと、牢獄に飛び込んでしまった気がしてしまう。
ちょっと悲観的すぎるかな?
ちょっとずつ切り替えて行こう。
コンクリートの割れ目からせっせと生えている雑草や寒い中がんばって生きているホームレスに見習わないと!
まずはポジティブ視点へのトランジション。
神社やお寺には木や茂みが並んでいる。近所の壁の外には様々な植物の鉢も置かれている。しかも、家の近くにパパイヤが普通に育っているのだ!雄だから実はならないけどトロピカルなお花を立派に咲かせている。その近くにはマンゴーらしき苗。
ここには長い歴史もある事だし、人間面では資源が豊富だ。色んな知恵の持ち主達が大勢いる。可能性もいっぱいある。アーバンパーマカルチャーには最高な実験場!
東京が本格的に持続可能な大都市に生まれ変われば、それは世界的な革命になるでしょう。
ハードルは高い。消費文化というレジスタンスもあるが、そこを上手にパーマカルチャーや平和活動者の知恵を活かして取り組むのも面白そうだ。結局、世界の人口のほとんどが集まっている都市が変わらなければ、文明は変わらない。
みんな一緒に、大都市革命に取り組んでみませんか?
本物のエコロジカル東京の実現にむけて。
エコエコ宣伝するだけではなく、宣伝しなくても生命感が身にしみて、人々がつながり合った健康と和を育む大都市。
Tokyo Regeneration Project.
消費文化から共生文化へ。 お金ではなく心で変えていく。 起こりざる終えない革命への招待状。
PS こんな事を書いている間、隣で東京大学で育てられたネズミの脳みそスライスがグラスプレートに載せられていっている。環境ホルモンの研究。勿論ここも都会名物、蛍光灯で照らされた白い箱。
Picture Attribution
1. http://www.flickr.com/photos/w00kie/30260450/in/photostream/
2. Adbusters
3. http://reisserbilder.at/bildergross/Hundertwasser_Haus_Wien_House_Vienna_Spaetsommer_Late_Summer_BH274_g.jpg
No comments:
Post a Comment